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第2回「派遣社員」
第二回目の今回は、派遣社員について考える。

最近、私は心から思う。派遣こそが「理想の人生」ではないかと。

子どもの頃、私たちには「卒業」という節目があった。たとえば高校に上がったとき、私たちは自分をとりまく環境の劇的な変化に驚いたものだ。これまでと違う服を着て、違う場所に行き、違う人々と過ごす。それで自分という人間までワンランクアップした錯覚に陥っていたではないか。

もう「牛乳買ってこいや!」って命令するヤツはいない。トイレにたどり着く前に力尽きた忌まわしい過去を覚えている友人もいない。新しい環境には、何かの間違いで自分を好きになってくれる女子もいるだろう。何と言っても、ここにいるのは「新型オレ」「ブラン・ニュー・自分」なのだから。

それが、いわゆる「卒業リセット効果」である。私が今作った言葉なので、あまり言いふらさない方が賢明である。

しかし社会人に卒業はないのである。考えてみれば、これは由々しき問題ではないか。

定年はある。でも、それはリセットとしては少しヘビー過ぎる。我々はもっとライトに行きたいのだ。お昼を藤一番とココイチで迷って、「じゃあ藤一の塩ラーメン」と決めるような、そんなカジュアルでさりげない決断力でリセットしたいのだ。

そして今、我々にとって定期的に卒業リセットができる唯一の生き方が「派遣」なのだ。

派遣は素晴らしい。今の自分に飽きたら、苦もなくリセットできる。本当は苦はあるのだろうが、一般のサラリーマンと比べたら、そんな苦は藤一番の手前のコメダ程度の障壁に過ぎないのである。

昨日までマジメな仕事人間だったのなら、明日からスチャラカ社員(古いけどさ)になればよい。それに飽きたら、ひきこもり系の人間を演じてみるのもいい。体育会系、お笑い芸人系、ホスト系……。リセットするごとに、まるで服を着替えるように新しいキャラクターになれるのである。

こうなれば、「年齢」や「性別」という常識のボーダーラインだって飛び越えられるに違いない。それが派遣という生き方なのだ。たぶん。

昨今、「自分さがし」という旅に出たまま、気づいたら自分が家族から捜索されていたりする若者が後を絶たない。そんな無益な自分さがしをするくらいなら、派遣社員になればよいのだ。そこでいろんな自分を楽しんだ方が、はるかに自分探しではないかと思うのだが。

ここに提言する。日本政府は、学校を出たら全員が派遣社員になるよう、今すぐ法制化すべきだ。

そうすれば私だって、もっと違った人生があったかも知れないのだから。

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